ドミンゴ / ゲイ
今の職場ではカミングアウトしていないので、職場で、異性愛を対象とした会話、恋愛や家族の話などは、本当に苦手です。特に新年度で人の出入りがあるときに、新たに出会う人たちに、私生活の話をするのがとても苦痛でもあります。仕事をする上では問題ないのですが、どこか自分を押さえて、コミュニケーションを取っていることが不自然でもあって、空しくもあり、悲しくもある時は今でもあります。
「自分と同じようなセクシュアリティの人は、
どんなふうに思っているんだろう?」色々な人の体験談の中に、
「自分はどうなのかな?」と考えるヒントがあるかもしれません。
※ここに掲載している体験談は、HPに掲載するために募集したものです。
今の職場ではカミングアウトしていないので、職場で、異性愛を対象とした会話、恋愛や家族の話などは、本当に苦手です。特に新年度で人の出入りがあるときに、新たに出会う人たちに、私生活の話をするのがとても苦痛でもあります。仕事をする上では問題ないのですが、どこか自分を押さえて、コミュニケーションを取っていることが不自然でもあって、空しくもあり、悲しくもある時は今でもあります。
自分が女性が好きな事は何となく自分の中で「これは人に言ったらひかれるだろうな」と思って周りには話していませんでした。でも大学に入ってから、友だち同士で恋愛とか好きなタイプの話になるたびに、相手が異性前提で聞かれるのに疲れてしまって、思い切って「好きになるの女の人なんだ」と伝えました。その時の友だちの反応は、すごく自然で「そうなんだ。じゃあ女性の芸能人だったらだれがタイプ?」と聞いてきて、自分でもびっくりするくらいあっけなかった事があります。その後、別の場面で何回かカミングアウトして、少し残念だった体験もありますが、1回目のカミングアウトが友だちの肯定的な反応だった事が、その先に進む勇気をくれたような気がしています。
家族の中で最初に私の性別違和に気付いたのは兄弟でした。「鶴本直(金八先生で性同一性障害に悩んでいた生徒)っぽい。そうなら言えよ」と直接言われました。理解がありそうだったのでカミングアウトしようとしましたが、機会を逃して伝えられませんでした。その後、改めてカミングアウトした時には、その前の発言は忘れていましたが「自立してくれれば良い」と否定されることはありませんでした。それ以降も特にカミングアウトする前と変わらずに兄弟として接してくれています。
社会人になってしばらくした頃、母方叔母と食事中、唐突に「あなたは男性が好きなの?」と聞かれ、私はサラッと「そうだよ」と応えました。すると叔母が泣き始めたので、私のことを不憫に思って泣いているのかと思い「僕は同性愛者だけど、十分に幸せだし満足しているから心配しないでね。」と伝えたところ、叔母は、「違うの、妹が可哀想だと思って・・・。」と言ったのです。私はなんだか肩透かしを食ったような、妙に冷静な気分になり、叔母の泣く姿を少し冷めた目で見ていました。その後、「まぁ、母には母のために泣いてくれる姉がいることは、自分にとってもありがたいことなのかな」と考えるようになりました。その後、両親から婚姻の意思について問われるようなことはなく、このように間接的にカミングアウト出来たのは結果オーライだったのかなと思っています。
初めて職場でカミングアウトをしました。私が所属している部署は、自分以外の人は全員既婚者であり、会話のほとんどが子育てやその家族に関わることだったため、この職場でカミングアウトすることは全く想像もしていませんでした。しかし、上司と二人で食事に行った時の話しです。同性婚の話しが話題として出てきたのですが、そのことに対して「それは我々が賛成するしないという問題ではなく、人権にかかわる問題なんだ」と言う上司の姿をみて、この人なら本当のことを話しても理解してくれるという確信ができました。カミングアウトしてから特に大きく変わったことはありませんが、本当の自分のことを知ってくれる人が出来たというだけでカミングアウトして良かったと思います。
親にカミングアウトしていなかった時、いつ結婚するの?と実家に帰るたびに質問されていました。その度に、同性愛者であることや結婚して親に孫を見せてあげられないことを悔やみ申し訳なく感じていました。親から結婚できる様にと縁結びのお守りをもらった時に親の期待に耐えきれず、母親にカミングアウトをしました。まさかウチの子が…と思っており、ゲイであることは全く気づいていませんでした。話し合いを重ねることで少しずつ母親も理解していき、LGBTの話題もたまに話せるようになりました。共感はできなくても理解してくれてる人が家族の中に1人でもいることで少しだけ気持ちが楽になりました。
主に仲の良い友人にだけ、伝えています。伝える際は「この人なら、仮に理解出来なくても、きっと受け止めてくれる」と思える人かどうか考えるようにしていました。それまでは「同性愛なんて気持ち悪いよ」と言っていた友人が、カミングアウト後に「ごめんね」と伝えてくれたこともありました。逆に、職場や部活など、そこに居られなくなると困る場所では、理解ある雰囲気であっても伝えるのは控えるようにしています。切羽詰まって一か八かで伝えたこともありますが、今考えてもドキドキします。アウティングはあってはならないことですが、最終的には相手次第なので、慎重に考えていきたいと思っています。
私はトランス男性です。性自認が男性であることを母にカミングアウトしたとき、母からは「絶対に違う」と否定されました。その後も話し合いをしましたが、受け入れてもらえませんでした。私は、治療は家族に理解してもらった上で始めたい、という思いがありました。あまりに受け入れてもらえない状況に「もう勝手に治療を始めよう」と気持ちが傾くこともありましたが、必死な気持ちで何度も話し合いました。2年以上話し合った末、少しずつ母も受け入れてくれるようになりました。男性として生きる選択を否定していた母も、今は良き理解者の一人です。なかなか理解してもらえず、苦しい思いをしている人もいると思います。あなたを受け入れてくれる人は必ずいますよ。
カミングアウトは、大学生の頃にも一度したことがありますが、30代の時に親に伝え、40歳の頃からは、自分のセクシュアリティを隠すことをやめました。性的マイノリティという存在が社会的にクローズアップされる中で、自分の周りからも変えていきたいと思ったからです。セクシュアリティを伝えることによって人間関係がどう変わっていくのか興味もありましたが、人間関係が特に変わるようなドラマティックなことはありませんでした。セクシュアリティは私にとっては大事なことだけど、他人からすればそうではないのかもしれませんし、お互いの人間関係においては、セクシュアリティ以上に大事なことがあるということでしょうか。
30半ばまで、クローゼットであったのですが、自分に正直でいたいと勇気を出した時がありました。異性の友人の何人かに、話をして受け止めてくれたことが、うれしかったのを覚えているのと同時に安堵したのを覚えています。ゲイバーに連れて行ったこともありました。その中で、それ以降、セクシャリティの話はしなくなった友人もいますが、今でも交流は続いています。本当は同性の友人にもお話できると良いのですが、今は、なかなか会う機会も少ないので、いつか伝える機会があればしたいとも考えております。
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